2008年3月 7日 (金)

3月7日

1月は行き、2月は逃げて、あれよあれよで3月になった。ブログの更新も、久々だなー。

年明け早々ひいた風邪は、かなりのツワモノで、1月の半分を棒に振った。健康第一で「元気の底上げ!」を今年の目標にしていた矢先、出ばなをくじかれた。

2月になり、これまでの生活のリズムを大きく変える出来事があった。

年老いた両親が、我が家の近くの介護付き老人ホームに入居したのだ。これまで要介護1の母のキーパーソンは、要支援1の父であり、町のデイサービスやヘルパーさんの助けを借りながら、なんとか2人の生活が成り立っていた。ところが昨年の秋の頃から、父の物忘れがひどくなった。「なんだ、しっかりしてよ」と始めは叱咤激励で済ませていたが、そのうちだんだん薬の飲み忘れやガスの消し忘れなど、笑って済ませる訳にもいかない心配の種が日に日に増えてきた。父自身、抵抗できない老いの壁に、地団太を踏み、イライラをつのらせていた。その矛先は、もう少しばかり天然に寄り添い始めた母にも向けられた。当年とって80歳。突然の嵐のように、老いの坂道を一挙に駆け下りていく父がいる。

事業に失敗しては、借金を残し、家族を捨てて、これまでに3回も蒸発を繰り返してきた破天荒な人生。いっそのこと、どこかに消えてしまってもおかしくは無いくらいの裏切りも、よほど強い縁に縛られているのか、いまは母と寄り添い、老人ホームという、終の棲家に落ち着いている。今の父に昔の面影は無く、“覇気”という言葉も父の辞書から消えた。

それでもまだ他人から見ると「カクシャクとしたしっかり者」に映るらしく、施設の方々に、もうイチモク置かれているのが、身内としてはなんともこそばゆい限りである。しかしそこは相手も介護のプロ。正体がバレルのも時間の問題だ。(笑)

そんな出来事で、逃げていった2月。3月、これでやっとひと息か・・・と思ったひな祭りの日に、離れて暮らしている主人の母が脳内出血で倒れた。40年以上も前に未亡人になった義母は、50代で直腸がんを患い、それから83歳になる今日まで、しっかりと誠実に生きてきた人だ。一命はとりとめ今、集中治療室で経過を観察中。これまで少々具合が悪くても決して人に見せようとしなかった手術の傷跡、人工肛門。その義母も面会に行くと、オムツをあてられ、若い看護師さんに抱きかかえられていた。食事の時間。食欲は旺盛だ。そして、よく喋る。その声は小さく聞き取りにくいが、美味しいとか、軟らかいとか、どうやらメニューの説明をしているようで、食べるか、喋るか、どっちかにしてほしいなとおもわず思う。家の周りのわずかなスペースを有効活用して、義母は野菜を作っていた。今宵食べた野菜で思い出したのか、大根とか人参とか葱だとかを、新聞に包んで持って帰れとベッドの上で喋っている。その様子はなんだかひとつスコーンと抜けて、子どものように純粋だ。あの“強さ”は“あどけなさ”に変わり、義母もまた、私の母のように、天然を歩こうとしているのか?最初からこんな可愛いお姑さんだったら、もっと仲良くやれたかな・・・?なんて、不謹慎にもそんなことを考えていた。(苦笑)

折しも主人とはお互いの親のことでてんやわんやの日々を過ごし、まだまだこれからが正念場かなと、少しだけ覚悟も増えた。そんな弥生3月7日は私たちの結婚記念日だ。

いつか行く道を目の当たりにして、今日はどんな言葉で記念日を過ごそうか。

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2007年10月24日 (水)

秋の夜

私はちょっと夜更かしが続いたりすると、軽い難聴がでる。もともと三半規管が弱いのか食器がカチャカチャいうような云わば甲高い音に、耳がビンビンに拒絶反応を起こす。

かなり田舎の部類に入る我が家の周辺では、夏の終わりの頃から、夜は秋の虫の大合唱が始まる。いったい“どんだけー”の虫の鳴き声は風流なんてもんじゃない!ちょっと気になると、ずっと気になって、そのうち頭が変になりそうになる。例えて言うなら、止まらない耳鳴り。寝付くまで容赦ない。ところが虫の鳴き声どころではない、再発したメニエルに気も下降気味の状態が続き、神経をやすめて、夜はぐっすり眠れるようにともらった安定剤を飲んで寝ることにしたとたん、効果覿面、横になったら一直線に夢ん中。

そのメニエルがやっと落ち着き、聴力も平均並みに戻って、ふっと見渡せば季節は秋。

夜、あれだけ騒々しかった虫たちはいったいどこへ消えたんだろう。はしゃいだあとの静けさに、残された虫の数どんだけ?しおらしく、上品に、涼しげな秋の音色を奏でている。

それもそのはず、二十四節気でいう今日は、霜降。秋も秋、晩秋なり。

何の予定もない10月のカレンダーを見ていたら、9日寒露、23日霜降と書かれている。昨今のカレンダーは簡素化され、日付だけしか印刷されてないものが多くなってきた。我が家のは、雑誌の付録についていたわりには、ちょっと気が利いて二十四節気が書かれている。暇を持て余しているこのところの私は、興味がわけばなんでもすぐに食い付く。指をおって数えてみた。小雪、大雪、小寒、大寒、啓蟄…えーっと…大安?仏滅?いや違う。十五夜?八十八夜?これも違う。元旦?大晦日?も違うやろ~。24どころか、5本おった指がひらかない。5つまでしか覚えてないのだ、知らないものは言えるはずがない。壁から外したカレンダーを1月から順に調べてみた。祝日や行事に加え、雑誌の発売日まで載っている。気が利きすぎるのも時として邪魔になるものだ。物事なんでも中庸がいいと、改めて思う。でも、そんなことで引き下がる今の私ではなーい。なんたって超人的に時間はたっぷり自由な身の上だからして、この際二十四節気を覚えてみようじゃありませんか。

そんなときの強い味方、“広辞苑”。今は無き職場のつぶれる間際に買った、一番高い買い物である。もう何年も前からほしかったものの、本という意味で捉えると、かなり高価なものであり気合と勢いをもって大枚はたいた、待望の1冊。7,665円なり。(苦笑)

実は、お店にも置いていた電子辞書を薦められたけど、見比べられる便利さと、この重厚感はやはり書物ならではのもので、思い切って買って正解だったと満足している。

パソコンと広辞苑は、さしずめ机上の三種の神器といったところ。あとひとつは?えーとそれはまあいいとして、かくして私の疑問は広辞苑を引くことで、一瞬にして解決されることとなった。1年を24等分した中国伝来の季節を表す語。簡単に言えばそういうことを書いてあって、ひと月に2回×12ヶ月で24節気ということ。なるほど納得がいった。

その、「広辞苑が1万語の新語を追加して、10年ぶりに改訂」なんでも、来年の1月早々には発売されるとの今日の新聞の見出し。なんでよ?買ったばっかりよ!そうはおらんよ広辞苑買う人なんて!きっとこの日本中で、がっかりした人ベスト10くらいには入っているのかもしれない私。「あなた10年も進化してなかったの?」本に問いかける。

急に老人化したような黒表紙が、なんだかすまなそうに背中を丸めた気がする。秋の夜に。

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2007年9月21日 (金)

あっけない幕切れ

6年前の9月、子宮癌で子宮全摘手術をしました。その2ヶ月前に乳癌で左乳房を失くしていた身体は、急激なダメージを受け、退院後も元の日常生活に戻るには、かなりな「時間が薬」の世界です。もちろん、時間がどれだけ過ぎたところで、完璧な過去を再現することは出来ません。「この程度」「これで良し」と自分に言い聞かせる作業も必要です。

そんな病後の体力のなさや、定期的な通院等のハンディを引っさげて、翌年から私の社会復帰のための就職活動が始まります。これはかなり困難でした。十何社はトライしたと思います。面接まで行って相当な好感触で、さも「あなたに決まり」と期待させて…落とす、裏切り型。何の前触れも無く履歴書が帰ってくる、薄情型。面接日まで決めておきながら、他の人を採用したからと電話一本で終わる、ゴリ押しシカト型。採用する側の“あんたが大将”を、ずい分長い間味わってきた気がします。そしてやっと苦労の果てに辿り着いたのが、今の職場である“本屋”でした。仕事に就いてこの9月で丸4年になります。

その愛すべき我が職場が、16日で閉店しました。

大型ショッピングセンターの中にテナントとして入り、それなりに客も入り、利益を上げていたにも関わらず、無念の撤退です。若者や子ども連れの家族をターゲットにした、他の全国的にも名の売れた大型書店を招致した結果です。

突然の閉店騒動に我々スッタフも慌てましたが、これも時代の流れなのでしょう。

早々と次の仕事を決めた人、今現在面接の結果待ちの人、失業保険をもらいながら次を考えようとする人(私もその中の一人)いずれにせよ、みんな自分の意思とは関係なく、失職を余儀なくされた仲間です。縁あった人が、この先またいい仕事に恵まれますように。

17日からは閉店作業におわれ、体力的に持続性の無い私にとっては、それはそれは力仕事の体力勝負みたいな作業の連続は、1日でも早くチャチャっと終わらせたいキツイ仕事のはずでした。「…はずでした。」過去形です。

昨日、朝の目覚めと同時に、この世の終わりかと思われるほどの大きなめまいに襲われました。招かれざる客?いや自分で招いた客になるのか?メニエル病の再発です。

早々に病院に連れって行ってもらい、薬の服用で今は症状も落ち着き、なんとかしのいでいます。ただし、「自宅で安静に」が条件です。ゆえに仕事にはいけません。今日も明日も明後日も。そうこうしているうちに、お店の片付けも終わりそうです。

店長いわく、「営業最後の日までいてもらっただけで、充分です。」(まあどこまで本心やら)

そういうわけで、良いことも悪いことも共に分け合い働いた仲間との、名残惜しさも感傷的な別れのシーンもないまま、涙のひとかけらも残さず、私の仕事は終わりました。

素っ気無いと言うか、味気無いと言うか、潔い最後とは言いがたいけど、もう、「本屋」に仕事に出かけることもありません。

突然の閉店騒ぎは、突然のメニエル再来で、あっけない幕切れを迎えました。

あまりにあっけなくて、なんだか笑っちゃいますよね。閉店が決まってから、なんとも慌ただしい日々でしたが、思えばこれでよかったのかも。

6年前、病気で悲しんでいた9月。4年前、就職が決まり喜んでいた9月。そしてこの9月…。

ツクツクボウシが遠くで、行く夏を惜しむように鳴いています。

私の中でひとつ何かが終わったような、そんな日に。

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2007年8月22日 (水)

拝啓、向田邦子様

沖縄那覇空港で起きた航空機炎上事故の原因究明の記事が、その写真とともに、今日の朝刊の一面に掲載されています。幸いにも一人の犠牲者も出さずに黒煙を吹き上げて凄まじく燃え続けた機体は、黒く焼け焦げてグッタリと横たわり、無残な格好で命尽きています。

新聞に目をやりながら、頭では…イヤ心の中でふっと、あなたのことを思います。

取材旅行中に台湾で航空機事故に合い、51歳で逝った向田邦子さん。

奇しくも今日8月22日は、私が憧れて止まないあなたの命日です。

1981年、台湾の山中に散ったあなたの魂は、いまどこにいますか?

いつからか、その名前が目に留まり、気がつけば向田邦子のファンである私は、だからといってあなたの本をむさぼり、あなたの書いたドラマ(脚本)を意識して観ていたわけではありません。これまで目にしてきたあなたに関する数々の批評は、高尚な言葉で語られる高いレベルの話であり、いちいち理解するには難しいものが多いのですが、(そもそもがなんでも分析しすぎる)要は、理屈じゃなく言葉じゃなく、向田邦子は“良い”のです。

私には、夢があります。生きているうちに叶うかどうかもわからないくらい、とてつもなく大きな夢なのかもしれません。でも、だから、生きていることが面白いと思えるのです。夢を追いかけることが、生きる糧になります。笑わないでくださいね。決して大げさではなく、真剣にそう思っているのです。まだまだやりたいことがいっぱいあります。

今、私はあなたと同じ51歳です。

あなたには、遣り残したことがあったのでしょうか?

乳癌で苦しんだ日々、死を意識せずにはいられない中、「誰に宛てるともないのんきな遺言状を書いて置こうかな…」(「父の詫び状」あとがきより)といって連載したエッセイが、後の「父の詫び状」を生みました。

あきらめないで前に進む大切さの中に、どんな状況でも力まず、切り替えの利くウイットさが垣間見えて、お茶目でかわいい女性の片鱗をうかがわせます。

作家、脚本家、エッセイストと色んな顔を持つあなたですが、料理が好きで猫好きでと仕事以外でも、魅力にあふれたあなたが素敵です。やはりすべてが“良い”のです。

無理やりにではありますが、私との共通点をいくつか見つけました。

まず、乳癌であったということ。(こんなに誇らしく語ってすみません)

あなたが亡くなった年の、あなたの誕生日、つまり1981年11月28日は私の長男の誕生日でもあります。あと、お父上は保険会社にお勤めだったようですが、私も長年、保険会社に勤務しておりました。などと私ごときが向田邦子を語って、申し訳ありません。

はるか昔の歴史上の人物ではなく、同じ時代にあなたが生きていたことを嬉しく思います。

お恐れながら「生まれ変わったら、向田邦子!」

これは、私の大いなる夢のひとつでもあるのです。

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2007年7月 7日 (土)

ボランティア精神に異状あり

純粋な気持ちで始めたパソコンボランティアは、回を重ねるごとに自身の知識レベルを上げていきます。“人に教える”という重責が、良い意味スキルアップに拍車をかけるのです。

日頃、本屋で働いている私は、シフトを調整し、その休みを利用してパソコン教室に臨みます。休み返上のボランティアは、ずっと働いているようなハード日程になることもあり、体力のない私としては、それはもうヘロヘロで疲労困憊な日々を過ごすことになります。

縁あって私の授業に毎日通ってくれる生徒さんには、「これはテキストには載っていません。今日は、来て良かったですねー!」なんて言いながら、事前準備で詰め込み覚えた、必殺技なんかを教えてあげたりします。私の授業を受けてくれる特典として。(笑)

関わる生徒さんは、身障者や高齢者で、しかも限られた時間内での授業はそれだけでもかなりの制約があり、持っているもの全部を教えてあげるという訳にはいきません。

私の外に向けてのモットーは“楽しく勉強して、パソコンを好きになってもらうこと”そして、私自身に言い聞かせている自分への言葉は、“常に平静を保ち、穏やかであること”ところが最近、何かにつけ不安要素や不満要素が浮上して、気がつけば純粋なボランティア精神が少しずつ壊れかけてきたことを感じているのです。

やってみてはじめて分かったことですが、人様(ひとさま)にモノを教えるということは、大変難しいことです。そしてそれがボランティアとなればなおさら、興味本位の浮ついた気持ちや、生半可な気持ちでは、決して出来ないし、やるべきではないと思うのです。要するに、ボランティアの名を借りて自己満足だけに終わるような、いい加減な仕事をしてはいけないということです。経験を積むごとに膨らんでいくそんな気持ちが授業にも反映されます。とにかく短い時間です。そうなるとやはり、ひとつでも多くのことを覚えてほしい、少しの疑問も残さないでほしい、終わった後に、パソコンをもっと好きになっていてほしいと思う親心にも似た心境です。だから当然ながら熱が入ります。時として、相手の立場を忘れ、身障者であり、高齢者である生徒さんを置き去りにして、私ひとり突っ走ってしまう失態をやらかします。必死な挙げ句、周囲に気を配れないそんな自分が怖くなる瞬間です。それでも、帰り際「今日は来て良かった。楽しかった!」と言ってくれる生徒さんの一言に救われ、やって良かったとささやかな幸せと達成感を味わっています。

授業の日程が決まれば、数日前から準備をします。自宅にあるテキストを読むのはもちろんのこと、本屋での昼休みにパソコン関連の本を持ってきては、授業に使えそうな箇所をメモります。(本代も馬鹿になりませんからね、全部買うわけにもいきません)時間の配分を考えて、授業のシミュレーションをして、事前準備には時間をかけます。そこまでしても、いざ本番でわからないことが出てきては、知識的なチカラ不足を嘆く場面もあったりして、以降の課題が残ったと笑ってその場をやり過ごしますが、内心かなり落ち込みます。この知識不足が不安要素となります。尾を引いて、何日もブルーになります。

そんな私への周囲の声は、「真面目すぎる」「あまり気負わずに」「まあまあ、肩の力を抜いて」…みたいな、結局はボランティアなんですから…みたいな。私としてはちょっと違うでしょ?的なご意見ばかり。ぶっちゃけ「あの程度であの態度で、パソコンボランティアと言えるの?」と腹立たしくなるようなレベルの低さを露呈する人も中にはいたりして、ボランティアの定義を問いたくなります。頭数だけ持ってくればいいと言うものではありません。なんだかいい加減さが目立ち、これが大きな不満要素となるのです。

なにはともあれ、ボランティアをやろうと思う気持ちがまず“一番”だそうです。私の持っているものを「ほんの少し、分けてください」そう言われます。本当はそれくらいでいい。そして、継続出来ればいい。そんなものなのかもしれません。

これまでの数十時間のパソボラで、色んな人との出会いと色んな経験をさせていただきましたが、そんなこんなで頭では分かっていても、気持ち的には譲れないものがやっぱりこの胸の中で渦巻いています。不満を感じ出したらボランティアを止めようと思っていました。心に曇りをもったまま、みんなの前には立てません。あくまでも純粋であること。これが私なりの条件です。温度差を感じたまま、これからの活動をどうやって乗り越えていけばいいのでしょう?私は私の色で続けるのがベストだとは思いながらも、しばらくパソボラから距離を置こうと決めました。

ボランティア精神異状あり!少し離れた場所から気にはなりながら、暑い夏を過ごします。

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2007年7月 5日 (木)

ただいま

長い留守の間にはられたクモの巣が、夏の陽を受け光っています。

コツコツと足音が響く部屋は人気を感じ、少しだけ穏やかさを取り戻したようです。

戻って来ました。

ここで、またこの場所で、私はゆっくりと時間と戯れ自分探しを続けたいと思います。

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2007年4月 3日 (火)

理不尽な怒られ方

客商売のモットーは“お客様は神様です。”

これは私が勤める本屋での出来事です。

その日開店早々にある客から、宗教関連の本を注文したいとの電話が入りました。スタッフが在庫確認のため一旦保留をしたそうです。ところがどこでどう間違ったのかその電話が切れたらしく、客の逆鱗に触れてしまいました。

すごい剣幕で掛けてきた2回目の電話。その理由も知らず私が出ます。受話器を取った瞬間、取らなかったことにしたくなるような、すごい勢いの金切り声。

「電話が切れたっー!」から始まったお小言は、出版業界の低迷期にまで話がおよび、ひとしきり文句を言われてもまだ怒りのボルテージは下がりません。こんなときに限って店長は不在。とにかくひたすら謝ります。どんな理由にせよ頭を下げるしかないのです。お客様は神様です。がしかし、店長を出せ!社長を出せ!!名を名乗れー!!責任者を出すまでは一歩も引かないほどのご立腹。結局は出先から店長が電話でお詫びして一件落着。あの騒ぎはなんだったのか?身に覚えのないことで、なんとなく私が悪者になってしまいます。なんとも理不尽な怒られ方。(-_-)

あとで分かったことですが、この男性客知る人ぞ知る悪名高きクレーマーで、要注意人物だとか。

宗教の本読んで何を模索しているのか知らないけど、その前に人に優しく、穏やかに過ごすための、日々の修行が必要なんとちがいますか?

翌日、店内に響き渡るようにスタッフが私の名前を呼んでいます。「ふーぶーきーさぁーん」ヽ(^o^)丿コッチコッチ

ある女性客が老眼鏡を貸してほしいと言っているらしく、(私のは度も軽く、どちらかと言うとオシャレ感覚のメガネなので、人に貸したくないんですけど…)顔で笑って心はシブシブ、客に手渡します。私の手から取ったそのメガネを、厚化粧の鼻にぞんざいにのせるなり「全っ然、読めない!」と吐き捨てるように言った顔は明らかに不機嫌。そしてなんと私に向かってその本を読んでくれと言うんです。「この本買うから、色んなこと書いてるけど、気にしないでちょっとここだけ今読んで」

お客様は神様です。立ち読みの片棒担ぐようで気は引けるけど、しゃがんで読むし(?)買うという条件付ならと返してもらったメガネ越しに見た文字は“SEX”(本にはカタカナで書いてあります)それは夢占いの本で、しかも読んでほしいといった箇所は、その夢を見たときはどうじゃこうじゃと説明した部分です。とはいえ、それを見てやめるのも何か変で、言われた段落を淡々と読み上げます。その度に客は「ほー」とか「へー」とか「あ、そー」といちいち反応します。読み終わったら、次はココとまた違う段落を指差します。

そうやってアレコレ読まされた挙句、時間がないから後で来るといって本を買わずに立ち去ろうとします。しかも去り際に「老眼鏡のひとつも置いていない本屋なんて不親切!字が読めなければ買いたい本も買えないじゃないの!サービスがなってなーい!!」またも理不尽な怒られ方。(-_-)

信じられない、人に頼むかそんなこと!見るなそんな夢!

それでもお客様は神様でしょうか?

商売とは言え、働く側の「顧客優先」主義を逆手に取り、「あなた何様?」と思わず言いたくなる、神様面した理不尽な客が跳梁跋扈する春うららです。

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2007年3月 1日 (木)

神様に好かれる人

時間を手繰り寄せるにはあまりに遠い過去から、今の私へと繋がっている鮮明な記憶です。

当時、職場が同じだったある男性が、何を思ったか突然こう言ったんです。

「自分は、神様に好かれていると思う」と。

初対面から半年間は挨拶しか交わしたことのない、普段は無口で大人しい人です。

それが話をするようになって、口を開けばこの言葉。

多分そのとき聞き返したと思います。聞こえなかったというより、理由が聞きたくて。

「これまで生きてきて、いろんな意味で危機があったけど大事には至らず、その度に何故かいい方向にすり抜けてこられた。こんな自分でも、いい妻をもらい、その家族にもよくしてもらって、幸せでいられる。だからいつも自分は神様に好かれているんだなーと思う」

立派な大人がどうしてそんな涼しい顔で、ピーターパンみたく爽やかに喋っちゃてるの?

でも、その稀有な思いは一瞬でした。もはや私の気持ちに、笑いも、否定もありません。

胸を張ってそう言えるこの人の純粋さを、素直に羨ましいと思います。

間違いなくこの人のこと、神様は好きなんだろうなとその場で納得しました

私は癌になったことで、死以上の怖さなどないことを知りました。

それゆえに、心と身体に消えない傷跡を残してもなお、生きるためにはまた、その手段を使う日もあることを覚悟しています。いま命があること。これがすべてです。

人は誰も未来が分からないから、今を生きることに熱中したいと思います。

病気をとおしてそれを教えてくれたのが、神様なんだと思います。

これまで神様を忘れる日はあっても、神様から忘れられた日はなかったような気がします。

私も遠い日のあの人のように“神様に好かれる人”にはなれたんでしょうか?

その答えは私自身もわかりません。

ただ言えることは、確実に日々「神様が大好きである!」ということです。

好かれる前に好きになる。先手必勝です。(笑)

この想い、はたして神様に届くのでしょうか?

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2007年2月15日 (木)

パソコンボランティア

家のこと、家族のこと、身体(病気)のこと、仕事のこと、気にかければ心配の種はどこからでも芽をだしますが、今が一番幸せなんじゃないかなー?と思ったりもします。

そんな時ふっと思ったのが、50年生きてきて、振り返れば人のために何かをすることがなかった私の半生。それに気づいたときの私の反省。(^_^;)誰かに助けられることは多々あっても、誰かを助けることはなかったような…とにかく自分のことだけで結構好き勝手に生きてきたような…。うーん、このままじゃオチオチと死ねませんね。

昨年そんなことを考えながら50代に突入し、これといってなんの特技も資格も人脈も名声も取り柄も救いもお金もない…(アーっとこんなに何もないと言うことです。)(^^そんな私ですが、パソコンが大好きです。ただし、そんなに詳しいわけではありません。好きなことしかやりませんから、人には当たり前でも、知らないことさえあります。デジカメもこのブログを始めるのに、もしかしたら必要になるかも?と思って、今年の誕生日のプレゼントと勝手に称して、家族からお金を搾り取って買わせていただきました。

ピアスの写真でも載せたいと思うのですが、無理です。やり方がわかりません。そのうち頑張りますので、乞うご期待です。(^v^)話がそれました。(>_<)

ボランティアに関心をもった矢先に、偶然、県が募集していた新聞記事に目が留まります。コレしかないと思いました。好奇心や興味本位、きっかけは何でもいいと思うんです。要は、無報酬のボランティアをやるのですから、欲も得も抜きで、無理なく長く続けられるもの。

それが、パソコンボランティア(パソボラ)です。

障害のある方にパソコン操作の指導をする、ボランティア。

身体障害者、知的障害者、精神障害者、難病患者が対象です。主にWindowsの基礎、Wordの基礎、メール・インターネット等の、ほんとに最初にやる基本的な操作のサポートです。(あくまでも私が所属するところでの活動の一部です。全国にある他の団体では、それぞれのやり方があると思います。)

ご存知でしたか?私たちが使っているこのパソコンにも、障害のある方や、高齢者が利用されるときのために補助する機能がついているんですよ。

1例でいうと、コントロールパネルの中にある、ユーザー補助(Macではイージーアクセス)というのがそれです。例えば、アルファベットの大文字はShiftキーを押しながら、AとかBとか押しますよね。でも、同時に2つのキーを押せない人のために、固定キーを設定することで、順次入力が出来るようになるというものです。このような機能をアクセシビリティ機能といいますが、パソコンの中に結構含まれているんですよ。

そんなことを少しずつ勉強しながら、昨年から私のパソボラがスタートしました。

まだ駆け出しの身ですが、仕事の傍ら出来る範囲でやっています。

昨年末には知的障害者の施設で、リーダーにつくサブとして、20時間の貴重なボランティア経験をさせていただきました。パソコンに詳しいボランティア仲間との出会いもあったりして、私のパソコンの世界は、少しずつレベルアップを図りながら広がりつつあります。

「先生じゃないんです。ボランティアでーす。だから間違いはありまーす。でも、ボランティアだから、みんな優しい人ばかりでーす。よろしくおねがいしまーす」

最初の挨拶はこれから始まります。一応それとなくさりげなく、間違っても許してもらえるよう、予防線をはっておきます。^_^;

パソコンが好きで、そこを入り口として入っていったパソボラですが、パソコンの知識はさることながら、福祉の壁が大きく立ちはだかるという大変さも実感しつつ、これからも経験を積み、勉強をして、これをきっかけにパソコンを好きになってくれる人がいればいいなと、その誰かのお役に立てればと思っています。

そして、いよいよ来週、3日間の講座をリーダーとして受け持つことになりました。実際は5日間の日程ですが、5連チャンのお休みはとれません。本屋をクビになります。

今から、キンチョーしています。勉強しなければいけないのに、こうやってブログの記事を書いています。しかも3日連続で頭痛がひどく、今日は仕事を早退しました。(p_-)

それなのにおとなしく寝ることもせず、性懲りもなく記事を書いています。

来週のパソボラ、うまく出来るでしょうか?またご報告します。(^_^)/~

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2007年2月11日 (日)

ピアス

初めてピアスを見たのが、娘の小学校の担任で、日本人離れした顔立ちの若く綺麗な先生の耳たぶの上です。ダイヤモンドだったと思います。私の記憶が正しければ…。

あれは、耳に、耳たぶに穴を開けているのではないですか?学校の先生のイメージを逸脱したオシャレ感覚に、少しばかりの戸惑いを持ちながらも、さり気なく漂うセンスのよさに好感を持ちました。

次にピアスを意識して見たのは、その1~2年後。10歳年上の人生の先輩の耳でした。

いつも前向きで、明るくて、太陽のようなオーラを持った憧れの女性です。

思いやりと言う言葉の意味は、この人から教えてもらったと、今でも強く思っています。

私に「思いやり」を教えてくれたその大いなる人生の先輩が、ピアスを開けたいと言った私に放った一言。「福耳だから似合わないかもね」ショック!!私は福助か?(-_-)

でもそれも思いやりですよね?憧れの人が言うんですから。似合うわけがない!?

ともあれその日を境に、私の辞書からピアスはなくなりました。

もうかれこれ15~6年前の話です。

昨年末のある日、職場の同僚がピアスを開け、ソレが火種になって仲間内でピアスブームが起こりました。しかも開けたその人の耳は、なんとかなりの福助。いや福耳。(^^

目の前がパッーと、明るくなりました。何でも答えはひとつじゃないんですよね。

5年前に手術を経験して、身体にこれ以上の傷をつけるのはいやだと言う拒否反応もありましたが、時間とともにソレも薄れ、かたくなな気持ちもやわらいでいたと思います。

病院はピアス付の3000円、所要時間は約10分、場所は徒歩5分の近距離。

そんな好条件にもそそられ、ついに開かずの扉は開かれました。ピアス解禁。

ちなみに家族(主人・長男・長女)の反応は、3人そろって反対です。何を今更という感じで、こんなときだけ一致団結します。それでも私は引きません。決意は固いのです。

結局内緒で病院に行き、何食わぬ顔で事後報告です。開けちゃったものは仕方ありません。

あまり難しく考えるのはやめにして、ブームに乗っかって軽い気持ちで開けるのもあり!です。よく人生を変えたいからとか、何か変化を求めたいときにピアスを開けるなんて聞きますよね。でも考えてみてください。チョコンとついた両耳のその小さなか弱き耳たぶに、自分のこれからの人生の希望を託すなんて、荷が重過ぎます。あまりにも残酷です。

だから、いちにのさんで開ける瞬間「これがいいほうに向かいますように」と心の中で小さく叫ぶだけにしました。それだけとりあえず叫んでおきました。一応、両耳とも。(^_^;)

痛い思いをした耳たぶには、これからいろんなピアスとの出会いを楽しんでもらいます。今日で丸1ヶ月。夜が明けたら自分のピアスにつけかえ、いよいよピアスデビューです。

記念すべきピアスは、小さいけど雪のようなダイヤがうめこまれたホワイトゴールド。

最初に見たダイヤモンドにはかないませんが、私にとっての初ピアス。お気に入りです。

「似合わないかも…」と言ったあの人生の先輩は、そんな私を見てなんと言うでしょう。

聞いてみたいな…。(・・? でもソレは叶いません。

ちょうど10年前、今の私と同じ年でこの世を去りました。私と同じ乳癌です。

「やっぱり福耳には似合わないよー」と言って、笑われるかもしれませんね。

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